「今日もお疲れ様、ゆーりん」
「陛下もお疲れ様でした」
人払いをした妃の部屋に、朗らかな声が響いた。
「ああ、ほんとーにねぇ。李順も宰相も容赦ないからさー」
のほほんと和らいだ空気を纏った黎翔は、今日も明るい笑顔で出迎えてくれた「狼陛下唯一の寵妃」である夕鈴に嬉しげに答えて定位置の長いすに座ってくつろぐ。
「・・李順さんより厳しいって方ですか。」
「そうなんだよ。本当に、参るよねぇ。」
明るく笑っているが、今日は本気で疲れているらしい黎翔が微かに溜息を吐いた。途端夕鈴が心配を滲ませる。労わりの言葉を口にしながら黎翔にお茶を手渡してくれる。
「大変ですね・・本当にお疲れ様です」
そこで、少し迷ったように視線を落した夕鈴が、おずおずと言葉を続けた。
「あの、・・・陛下、お疲れでしたら、甘いもの、とか、如何ですか?」
朗らかではきはきとした夕鈴が、僅かでも口ごもって話す姿は珍しく、黎翔は視線だけを鋭く夕鈴の表情を探る。だが、別段不穏な感情は読み取れず、内心で首を傾げるが、口調は子犬のままで明るく返した。
「ありがとう!ちょっとおなか空いてたんだ。」
「!そうですか!じゃあ少しお待ちくださいね。」
黎翔の言葉に、明るく瞳を輝かせた夕鈴がいそいそと次の間に引っ込む。
直ぐに戻ってきた彼女の手には餅菓子が乗った皿がある。
余り目にしたことがないものだ。
「・・もしかして、夕鈴の手作り?」
「わかります、よね、やっぱり・・料理長さんの作ったものみたいに綺麗じゃありませんし・・・」
期待に声を弾ませて黎翔が尋ねるが、夕鈴は少し笑顔を曇らせて答える。
「え、僕嬉しいよ!夕鈴の手作りお菓子なんて初めてだし!」
「や、本当に質素な庶民料理で申し訳ないんですけど・・・」
「何言ってるのさ、お嫁さんの手作りだよ?嬉しくないわけ無いじゃない!」
思ったとおりの夕鈴の言葉に、声だけではなく顔を輝かせて卓に置かれた皿を見下ろす。丸い餅を緑の葉・・・柏、だろうか?・・で包んである。少し甘い匂いがするから、中に餡でも包まれているのだろう。白いものと緑のものがある。
「あ~、と、お口に合わなかったら残して頂いて構いませんので!・・・・一口ずつで良いので、召し上がってくださいます、か?」
うきうきと菓子を観察する黎翔に、さらに声音を沈鬱なものにした夕鈴が気まずそうに視線を彷徨わせてそんな台詞を言ってくる。これには流石の黎翔も先ほどの疑問をよみがえらせて夕鈴の表情を改めて見上げた。
「どうした?何か憂いでもあるのか」
「や、何でも・・」
意識せず狼に切り替わった黎翔が素早く夕鈴の手を掴んで問いただす。
途端に緊張を露にした夕鈴が口ごもるが構わずさらに詰め寄る。
「・・・私には、言えない?」
「言います言えます!だから狼陛下は止めてください!!」
掴んだ手を引き寄せて夕鈴の耳元に囁いて見せると、見事なまでの赤面兎が一匹。目にも留まらぬ速さで衝立の向こうに逃げ去ると、恨みがましく此方を睨みながら叫ぶ。相変わらず可愛らしい夕鈴の反応にくすくすと笑いながら黎翔が問いを繰り返す。
「じゃあ、教えてよ。どうしたの?」
「・・・~~~(ずるい!何でそう切り替えが早いのよ!!)・・・陛下、端午の節句ってご存知ですか。」
「んん?・・・ああ、確か東の国にある季節の行事だよね。」
「はい、えと弟の仲の良い友人に東の国出身のご家族がいまして、弟づてに聞いたんですけど。 何でも男の子の成長を祝い健康を祈る行事だとかで・・・その、今日なんですが、・・・ 邪気を払う菖蒲や蓬を飾って、菖蒲を湯に入れて湯浴みをしたり、柏餅を食べる慣わしがあると・・・」
夕鈴が気まずそうに話し出す。
おぼろげに聞いた事のある他国の知識を引っ張り出して答えると、詳しい説明が返って来て、なるほどこれは柏餅というのかなと皿を見下ろす黎翔。さらに、湯浴みの際珍しく湯に浮かべられていた花に、葉が混じっていた理由も悟る。
(成長を祝い、健康を祈る行事・・・夕鈴の手作りの柏餅・・・湯殿の葉っぱも夕鈴の指示だろうな・・・つまり、そういうこと?)
・・・・じわり、とこみ上げる嬉しさにそっと口元を押さえる。
「その・・・陛下は十分成長なさってますし、高がバイトが心配したりするのはおこがましいとわかってるんですが!」
そんな黎翔に気づかず勢い良く言い募る夕鈴。
「あの、陛下は何時も大変なお仕事をなさってますし、色々危険な事もおありで、 ・・その、気休めでも、健康を祈る行事にあやかれたらと、その、・・うひゃああ!」
其処まで聞いて我慢しきれず黎翔は力いっぱい夕鈴を抱きしめる。
頓狂な夕鈴の悲鳴も気に留めず、嬉しげに抱え込んだ小さな頭にほお擦りをする。
「うれしいなー♪つまり夕鈴は、僕の健康をお祈りするために、柏餅作ってくれたりしたんだよね!」
「ちょ、苦しーです、・・・その通りですが!・・・力緩めて、」
じたばたと抵抗しつつも、黎翔の言葉には律儀に返事を返す夕鈴。
花嫁の必死の抵抗を軽くいなして、更に深く腕に抱え込む黎翔。
「じゃあ、早速頂きます!」
抱きしめた柔らかな身体は名残惜しいが、折角の手作りのお菓子も堪能したくて笑いながら夕鈴を解放する。そしてうきうきと菓子皿の前に戻る。
「うん、おいしーよ!夕鈴」
「そーですか、よかったです・・」
拘束から解放された瞬間何か言いた気に口を開くが、間髪いれず菓子を褒め称えた黎翔の言葉に照れたように顔を赤く染めて俯く夕鈴。
「あれ、この緑の方って・・・蓬?」
なるべく味わって食べたが、あっという間に一つ食べてしまった黎翔が、もう一つを手にとって夕鈴に質問をする。
「あ、そうです。柏餅って教えてくれた方の故郷では白が一般的なんですけど、他にも色のついた種類もあると伺いまして。」
「へぇ・・・うん、おいしーよ!」
「えと、・・・それで、邪気避けの蓬って薬草ですし食べられるじゃないですか。だから、お餅のに練りこんで食べれば、身体の中からも厄除けの効果が期待できるんじゃないかと・・・思って、家ではいっつも二種類作る事にしてたんです。・・・それで、陛下は普通の人より危険も多いですし・・・ちょっと多めに蓬入れちゃったんですけど・・味、本当に大丈夫ですか?」
そこまで聞いた黎翔は再び夕鈴を抱きしめた。
「ありがとう!!こんなに夫思いの花嫁さんはなかなか居ないよ!」
「は!?離し、ちょ、ホントに息が!!」
「それってつまり、僕に一杯健康になって欲しいってことだよね!・・・・・やっぱ、良いな夕鈴は」
「苦しいです、って!」
「・・・・このまま、僕だけのものにしたいなぁ」
うきうきと、嬉しげに・・・・表情は子犬のままで、狼の鋭さを滲ませて囁く黎翔。
拘束から逃れる事に必死な夕鈴は気づかない。・・気づかせるようなへまはしない。逃がす積りは、欠片も無いからだ。
「本当に、このまま僕だけのものになってくれれば良いのに。」
「いい加減に離して下さい!」
「・・・・ま、最後にこの手に落ちてくれれば良いか。・・・・今の所は。」
呟いて、さり気無く拘束を緩めると、夕鈴が勢い良く身体を引き剥がした。
「あ、ごめんごめん。つい嬉しくて力いれすぎちゃった」
「・・・・本当に苦しかったんですよ!もうっ」
数秒前の企み顔など微塵も見せずに、しょんぼりと謝って見せる黎翔。
顔を真っ赤にして眉を吊り上げていた夕鈴が、途端に勢いをなくす姿にこっそりと苦笑する。
「ごめんね、ゆーりん。」
「・・・・・・次は気をつけてくださいね」
「うん!ありがとう!」
「お茶新しく淹れますから、宜しければ残りも召し上がってくださいね。」
「勿論だよ!じゃあ、お願いね」
「はい、ではお待ちください」
「はーい。」
良い子のお返事で答えて、柏餅の残りを食べ進める。
「うん、やっぱり美味しい。・・・・本当に、早く欲しいな。」
「?そんなにお待たせしましたか?」
最後の一口を飲み込んだ黎翔の呟きを、丁度戻った夕鈴が拾って首を傾げる。
可愛らしい夕鈴の仕草に頬を更に緩めながら、黎翔は笑って首を振った。
「あ、ううん。これは別のこと。・・ありがと、美味しかったよ。」
「お粗末さまでした。」
「ふふ、また作ってね!」
「あ~、それは、」
「・・・・だめかな?」
「(あああ、垂れた耳が!尻尾が見える!!)いえ、わかりました!
質素な庶民料理で宜しかったら、是非!」
「ありがとう!楽しみにしてるね!」
「(うわ、つい・・・)・・・ご期待に成るべくお応えできるようにがんばりますね・・・」
「わーい。楽しみだな!」
「はは」
子犬モードでお強請りすると夕鈴は断れないの知ってからは、意識と仕草の切り替えが更に巧みになった黎翔。言葉を濁す夕鈴を押し切って次の約束も取り付けると機嫌良さ気に笑う。
「ははは・・・・本当に、楽しみだなぁ」
(君が、本当に僕のものになる日が。)