原作様の夕鈴はもうちょっと前向きかなーとは想いましたが、この位ネガティブに思い悩むことがあっても良いかな、とも思ったので書いてみました。
紅珠の好意を「下らない」と斬り捨てた陛下に怒り狂って捨て台詞付きで別れた後の夕鈴の葛藤。
IF分岐っぽいです。
陛下と別れて寝所で煩悶する夕鈴の一人問答。
灯りの落された後宮の寝所で、夕鈴は深い溜息を吐いて頭を抱えた。
脳裏に甦るのは、先刻激昂した夕鈴の言葉に面食らって戸惑う陛下の表情。
昇りきった血の気が下がって冷静になれば、あの時の陛下の言葉は当然のものだ。
一介の下級役人の娘でしかない夕鈴が、白陽国の国王の妃、などという役目を賜ったのは、年若い国王を絡めとるために身内を嫁がせようとする高官達への牽制の為なのだ。例え氾紅珠がどれ程優れた人となりの教養深い令嬢であっても、その父親が優しく穏やかな気性の氾大臣であっても、その身分が、国内において大きな権勢を誇る大貴族である限りは、陛下が紅珠との婚姻を望む事はない。
わかっていたはずだ。
いつでもわかっていなければならないことだったはずなのに。
(「下らんな」)
---心が冷える。
孤高の狼の気配を纏って、淡々と吐き捨てた陛下の言葉が、脳裏に鮮やかに甦る。
・・・痛むのは、頭だ。己の自覚の無さに対する羞恥を抑えるために乱暴に臥所に頭を打ち付けたりしたからだ。
(「下らんな。あの年頃なら、思い込みが激しいのも頷ける。」)
・・・痛いのは、夕鈴の胸じゃない。心臓が締め上げられたように、きりきりと鈍く熱い痛みを訴えているわけじゃない。
そんなこと、あってはならない。
(「どちらにせよ、君も真面目に受け取らなくて良いよ」)
わかっていたはずの事だ。
陛下にとって、婚姻を迫る臣下の思惑も、たおやかな美貌の姫君たちの好意も、等しく己の歩みを妨害する泥濘に等しいのだ。そんな周囲の思惑を牽制するために雇われたのが、「臨時花嫁」の夕鈴だ。
だから、夕鈴個人にとって紅珠がどれ程好ましい少女であろうと、陛下に向かって紅珠の好意を受け取れなどと奏上する権限など無いし、権限があったとしても言ってはいけない類の事だったのだ。だから、陛下の言葉は正しい。役目を逸脱した夕鈴をその場で叱責しなかっただけでも破格の温情だろう。なのに、あんな風に激昂して暴言を吐いた夕鈴のほうが間違っている。
わかっているのに。
(「君がいればいい」)
(「君が、私の妃だ」)
心が、冷え切って凍えてしまいそう。
怜悧な美貌を微かに歪めて、真っ直ぐな瞳で見つめられて囁かれた陛下の言葉に、体が熱くなる。
頬が紅潮して足の力が抜ける。脳裏が熱に浮かされたように霞んで、陛下の言葉だけが夕鈴の全てを支配する。
その瞬間に感じてしまった甘やかな幻想が、微塵に砕ける。
わかって、いたのに。
「サイテー・・・・!!!どーせ、思い込み激しいわよ・・・!」
言葉だけは勢い良く、此処には居ない陛下に八つ当たりをして見せる。
誤魔化せない痛みが胸の奥を凍らせる。
(「下らんな」)
聴いた瞬間にあれ程激昂したのは、紅珠の可愛らしい恋情を冷たく斬り捨てた陛下への怒りじゃない。
いや、紅珠の想いを「思い込み」の一言で片付けた事に対する怒りはある。
あれ程に直向に想われて、何が不満なのか。「後ろ盾を持たぬ出自不明の妃」である夕鈴にもあれ程誠実に敬意を払ってくれるような気立ての優しい少女の想いを、まるで見返りを望んで媚を売っているかのような口ぶりだった。ふんわりと柔らかな空気を纏って花の様に微笑む紅珠の笑顔を、陛下のご機嫌取りに上辺だけの笑みでおべっかを使う奸臣の愛想笑いと一緒くたにされた事に対する怒りはある。紅珠の優しい微笑を、悲しみに翳らせたくない。そう、心から思っているのに。
・・・感じた怒りの原因は、紅珠への好意だけではなかった。
そんな綺麗な感情ではなかった。もっと、自分本位な種類のものだった。
まるで、陛下が演技で囁く優しい言葉に一喜一憂してしまう己の心も、同様の詰まらない思い込みだと、一蹴されてしまった気がした。
じわり、と目頭が熱くなる。
反対に、心は何処までも冷たく凍りつく。
自業自得だ。わかっている。
役目を逸脱して、己の存在意義を忘れて、幻想と現実の境界を見誤った。
夕鈴の「思い込み」が、全ての原因だ。
わかっている。
(「この冷血漢。」)
だなんて。
胸の内を誤魔化したくて、怒りを奮い立たせようとした。
紅珠の為に怒った振りで、自分の為に陛下に噛み付いた己の醜さに吐き気がする。
・・・いつか消える幻想を真に受けて「思い込み」を深くする娘の心など、陛下にとっては「下らない」モノでしかないのに。
「サイテー・・・・!!。」
こんな風に、陛下に理不尽な八つ当たりで暴言を吐く自分は、なんて。
「サイテー・・・・」
夜が更ける。
刻一刻と闇は深まり、そのうちにまた、朝が来る。
「サイテー・・」
朝が来たら、きちんと役目を果たさなければ。
「・・サイテー」
・・その時間が、来なければ良いのに、なんて考える自分は本当に
「サイテー・・・だわ」
力なく項垂れる。儚い花のように真白い臥所に栗色の髪が散る。
泣き濡れた夕鈴の顔が絹の海に埋まる。
泣きつかれて睡魔に囚われた夕鈴の表情を支配するのは、怒りと後悔と、どこまでも深い、哀しみ、だった。